とりとメモないこと

本や映画の感想など徒然なるままに書きます。140字に慣れすぎて長文が下手ですが、生暖かい目で見守ってくだい。

感想『未来のミライ』くんちゃんの成長

 細田監督の映画は、高校生の頃から必ず映画館に足を運んで観るようにしていました。待望の『未来のミライ』が公開される週、試写会に参加した人たちが早速Yahoo!映画レビューに評価を投稿していて、羨ましいなあと思いつつ評価を見ると星2.5……

今日はあまり期待をしすぎないように、でも少し楽しみに映画館へ向かいました。

 

 結論から言うと、とても面白いです。

 

 まず、家の作りが面白い。場所は横浜とのことだけど、東北民としては玄関~リビング~子供部屋の間に雪が積もり積もったらどうすんだと心配になりました。でも、ちょっと普通じゃない家(非現実的)で、イヤイヤ期4歳児と新生児の子育てに奮闘する姿がやけにリアルに描かれていて、そのミスマッチな空間(樫の木含む)がくんちゃんと不思議な空間を繋いでいたのかなと思いました。バリアフリーどころか階段まみれの家だけど、ちょっと住んでみたい。

 

 そして、くんちゃんに次々と起こる不思議な体験の展開が素敵です。夢なのか、本当に時空を超えてしまったのかあやふやだけど、未来のミライちゃんとゆっことくんちゃんで雛人形を片付け終わった後、(雛人形は)くんちゃんが片付けたんだよと言ったシーンは何故か私も誇らしい気持ちになりました。カージナルテトラや魚たちの流れに乗ってお母さんの子ども時代に行き着く話も、お母さんの家の玄関の正面にカージナルテトラが泳ぐ水槽が置かれていたのも素敵。その水槽を見て「あ…」というくんちゃんも良いし、散々散らかすなと怒られていたのに、おもちゃ箱をひっくり返す幼少期お母さんに「怒られないの?」と聞くシーンも可愛い。

 

 かまって欲しいのにみんなミライちゃんのことばかりで、怒られるのはわかっているけど散らかしちゃうし、お母さんの鬼ババな絵も描きたくなるし、お父さんが何をしてくれてもお母さんが良いの!という気持ち、20代の大人でも痛いほど気持ちがわかりました。。(笑)くんちゃんにとっては人生の最初の試練でしょうか。誰も自分にかまってくれないし、どんなに悪い子になって気を引いてもやっぱり怒られるばかり。やり場のない気持ちでいっぱいになって、悪いことだとわかっていてもミライちゃんを大好きな新幹線で叩こうとしちゃう…う~ん、大切なおもちゃで大切にしたいはずの人を叩くことって、くんちゃんは本当にどうしたらいいかわからなくてしまったんだなあと胸がギュッとなりました。自分が親になった時、子どもの繊細な気持ちに気づいてあげられるだろうか……。

 

 ラストはそんなくんちゃんが様々な体験を通して間一髪ミライちゃんを助け、「くんちゃんはミライちゃんのお兄ちゃん!」と叫ぶシーンは本当にくんちゃんに拍手喝采でした。イヤイヤ期4歳児は、ようやくミライちゃんのお兄ちゃんになった。あれだけ黄色いズボンじゃないと嫌なの!とごねていたのに、いざ黄色いズボンを手にしても青いズボンのままでもいいやと思えたし、自らミライちゃんに初めて自分の好きなバナナをあげた。くんちゃんはお兄ちゃんとしての自覚を持つことができた。『未来のミライ』は、そんな4歳児の心の成長譚でした。

 

 くんちゃんのリュックも黄色だし、置いて行かれたのかもと不安になりつつ急いでジュースとバナナをリュックに入れるところも、黄色いズボンにこだわった理由なのかなと思いました。可愛い。こんなに丁寧にくんちゃんの成長を描いていたのに、今時成長譚は一般ウケしないのでしょうか?退屈になるなんて本当に不思議で、素敵なシーンがいっぱいあるし、子育てをする人々には頭があがらいな~と少し子育てに怖さすら感じ、全く退屈なんてせず最初から最後までのめり込んで観ることができました。くんちゃんの声についても、わたしは割と序盤から違和感なく観れました。ここまで読んでしまったらある程度内容はわかってしまうと思いますが、まだ観てない人には是非観てほしい作品です。もちろん映画館で!

 

 

 

 

 

 

 

『君の膵臓をたべたい』と“名前”について

こちらのページにお越し頂き有難うございます。

『君の膵臓をたべたい』の名前に関することなどのネタバレを含みますので、未読で絶対にネタバレしてほしくない方はご遠慮ください。

 

 

 

 

 

 2015年のある時から、「キミスイを読みました。」というコメントと共にSNS上で大量に薄ピンク色の装丁の本の写真がアップされ始めた。『君の膵臓をたべたい』という奇抜なタイトルで、更には「号泣した」などみんなが口を揃えて言うのである。しかし、私は捻くれ者なので活字離れといわれる昨今、じわじわと拡散されるその「読了しました写真」を見る度に読む気を削がれていった。じゃあ何で読んだのか、それはやはり薄ピンク色の装丁が可愛かったからだ。(わたしも十分ミーハーなのであった。)

 

 この物語の主人公は、ひょんなことからヒロインである桜良の秘密を知ってしまい、彼女と奇異な付き合いをしていくことになる。桜良は重い膵臓の病気を患っており、余命まで宣告されていた。この作品の題名である『君の膵臓をたべたい』は、実は序盤に主人公と桜良の会話の中で出てきている。ラストの方にも出てくるのだが、こちらは少し意味合いが異なっている。この変化の過程が物語の主旨となる。

 

 主人公は他人から名前で呼ばれているのであろうが、読者はラストの方まで知ることができない。名前の部分が「【秘密をしるクラスメイト】くん(P10)」や、【地味なクラスメイト】(P73)」という表現になっているのだ。本当にそう呼んでいるのか?ちょっと厨二臭いなぁ…と思っていたが、途中から桜良に「【?????】くん」と呼ばれ始める。これは、他人から主人公が名前を呼ばれたときに、周りの人間が自分のことをどう思ってるか想像したものを表している。主人公は自分の名前を呼ぶ桜良の気持ちを推し量れず、【?】を並べていた。ここが少し気になるポイントである。この時点でもうお互いが必要な存在であることは読者からしたら自明であるのに、何故「【大好きな人】くん」などにならなかったのだろうか。余命幾ばくの少女が主人公に寄せる気持ちは「好き」などでは表せなかったのだろうか。主人公が最期まで桜良の名前を呼ばなかった理由と同じように、その感情に名前をつけるのが怖かいから、あえて【?????】にしたということもありえる。それとも、自分のことが好きだなんてまさか…のような謙遜もあったのかもしれない。この主人公の名前の隠し方はとても良いと思った。(名前が隠される他のラノベは知っている中で、『みーまー』こと『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』がある。あの作品は主人公の名前を「✖✖」と表記していた。これも名前が鍵を握っていてとても面白かった。※元気な時に読みましょう)

 

 桜良と2人で福岡へ行く道中、こんな会話をしている。

「そういえば、【仲良し】くんの下の名前ってなんだっけ?

〔中略〕

そして僕は自分のフルネームを控え目にくちずさむ。

「君みたいな小説家いるよね?」

「そうだね、どっちが思い浮かんでるのかしらないけど」

引用元:『君の膵臓をたべたい』(作:住野よる) P80

この会話から、「2人の小説家の苗字か名前が組み合わされた名前」というヒントが与えられるが、それ以降“ヒント”らしきものは見受けられない。その気になる名前が明かされるのは、桜良の母との会話である。

「そうだ、下の名前はなんていうの?」

お母さんの何気ない質問に、僕はきちんと振り返り、答えた。

「春樹です。志賀春樹、といいます」

「あら、そんな小説家いるわよね?」

僕は驚いて、それから口に笑みが浮かぶのを感じた。

引用元:『君の膵臓をたべたい』(作:住野よる) P261

 ここで、私がこの本を手に取るきっかけになった“薄ピンク色の装丁”とは、桜のイラストのことである。そして、桜良は春樹に「ねぇ、桜がどうして春に咲くか知ってる?」(P185)や、桜は春を待って咲くということ、とある手紙の中でも「桜が、春を待っているみたいに」(P253)という一文を書くなど、度々“桜”と“春”を結び付けた話をする。桜良は春樹に特別な感情を抱くことの中で名前の観点から、自分(桜良)は彼(春樹)と出会うべくして出会ったのだと思っていたのだろう。桜は春を待って咲くのと同じように、桜良は春樹と出会って必要とされるのを待っていた。

 

 はぁ、なんて素敵なんだ…この手のものに本当に弱くて、こんな関係と出会う度に「尊い!!!!!ありがとう!!!!!」と感謝せずにはいられない。個人的には最後に名前を明かすことによって、桜良が桜と春の話をする意味が分かり、春樹に寄せる想いを知ることができたと思っている。誰か気になる人や好きな人と好きな食べ物や血液型が同じだったり、誕生日が近かったりクセが似ているなど、何か共通点を見つけて「あぁ、この人と出会ったのは必然だったのかもしれない」(必然とまではいかなくても縁があるなど)と思う心理である。(そんなの少女漫画の話だろ…なんてことはないはず!)桜良が“桜”と“春”の話をする度に「好き」だと告白しているようにさえ思えてくる。はぁ、なんて素敵なんだ…(2回目)。

 

 最初から主人公の名前が明かされていたら、桜良が桜と春の話をするのは見え透いていて面白くないだろう。名前を隠すとこによって、桜良の想いも一緒に隠していたのだ。前文にも書いたが、桜良が「春に桜が咲く理由」を春樹に問いかけるシーンがある。桜が春を待って咲くという話をすると、春樹は「君の名前にぴったりだ」と言い、桜良は「奇麗だから?」ととぼけることに対して春樹はこう返す。

「……そうじゃなくて、春を選んで咲く花の名前は、出会いや出来事を偶然じゃなく選択だと考えてる、君の名前にぴったりだって思ったんだ」

僕の意見に、彼女は一瞬きょとんとしてから、とても嬉しそうに「ありがとう」と言った。〔中略〕彼女がそんなにも嬉しそうにする理由が僕にはわからなかった。

引用元:『君の膵臓をたべたい』(作:住野よる) P186,187

  春樹の名前を知っていると、「鈍感め~~!!!!」と思わず言いたくなるが、名前を隠されていれば読者も春樹のように首をかしげるか、この文の本当の意味を知ることはできないだろう。1周目は読者は鈍感な主人公と同じ目線で物語を読み進め、2周目は桜良の想いがありありとわかり、楽しむことができる。二度おいしい作品なのである。

 

 この物語の全体としては、どこかで読んだ・観たことのある作風(『四月は君の噓』など)で、少し型破りな部分はあるが、大元はお決まりのパターンで構成されている。よって、この作品全てを素晴らしい!と大絶賛するには至らないのだが、読後は前向きな気持ちになり胸が温かくなる素敵な作品だ。住野よるが書く物語をもっと読みたいと思わせるには十分な処女作であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなに稚拙な文章を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

ちょっとおかしいところがあったら教えて頂けると嬉しいです。

全部のネタバレはしていないので、未読の方も楽しめるかと思います!

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本当にありがとうございました。